【10月9日放送 情熱大陸 15周年!ラップ界のモンスターグループに初の長期密着】
まいど、おおきに!
無類のケツメイシ好き、なまけタイガーです。
ケツメイシといえば、2001年にメジャーデビューしたラップグループ。
「笑わせ、楽しませ、泣かせる」というケツメイシにしかできないエンターテインメントが魅力ですね。
2005年リリースの「さくら」は200万枚の売り上げを突破し、ケツメイシの人気を一気に爆発させたことは記憶に新しいですね。
そんなケツメイシが情熱大陸で初の密着取材をおこなったということで、まとめてみました。
ファンの声
「俺の曲じゃんって思える曲が多い」
「変にカッコつけないで笑わせたり自然体なところ」
「結婚式の時につかわせてもらったり、友達の門出のときに仲間に・・」
語りながら涙ぐむファンの姿が見られました。
密着取材開始
宮古アイランドロックフェスティバル2016
沖縄はケツメイシの人気に火が着いたきっかけになった場所。ケツメイシにとって思い入れがある場所とのこと。
メンバー
大蔵(40歳)リーダー
「ほかの3人の考えていることは、あうんの呼吸で分かる。老夫婦みたい。」
「ケツメイシはバランスがいいのかもしれないですね。みんな趣味が違うのがいいのかな。本当に音楽の趣味も音楽以外の趣味も違うし。」
DJ KOHNO(39歳)
メンバーは個人での活動が増えている。
ソロでの活動を積極的にすることで、メンバーのありがたさを感じるようになったとのこと。
「黒人になりたいけど敵わないみたいなB-boyが多かったけど、ケツメイシの3人は全くそれがなく、自由だなみたいな。躊躇なく色んなジャンル取り入れてますし」
RYOJI(41歳)
曲作りの中心人物はRYOJIさん。
ケツメイシのオリジナル性は4人の絶妙なバランスだという。
RYOJI
「自分の我を貫いた曲は、意外とファンに受け入れられないことにそれぞれが気が付いた。4人の中心を通る曲をつくることで、その強い部分のラップが生きる。4人の個性が中心になっているグループ」
中学生までは、料理人になることも夢の一つだった。両親の仕事が忙しかったため、自分で料理をすることも多かったそうだ。
人をもてなすことは嫌いじゃない。取材するスタッフにチャーハンを振る舞うRYOJIさん。
8分で完成。
RYOJI「異常にシンプル」
RYOJIの中学卒業文集全文
全文
タイトル:料理人になるために
【「僕は、将来ぜったいに料理人になってやる‼と言う大きな目標がある。
そのために僕は、日夜トレーニングをつんでいる。
土曜日の昼食や日曜日の朝はたいてい自分で作って食べています。
特になりたい料理人は寿司屋さんの板前か小さな店とか喫茶店の料理を作る人、いわゆるコックサンになりたいです。
そのためには、高校に入って卒業後、専門学校に通って、料理の事について、専門的に勉強しながら、レストランの用なお店で、アルバイトをして、調理師の免許を取ったらどこかのお店で料理を作らしてもらおうと思います。
失敗しておこられたり、なぐられると思うけど、自分で決めた自分の道だからがまんをしてやっていけるし、やる気もでるので、ぜったいに自分で決めた道に進みたいと思います。
まだはっきりした目標はきまってないけど、料理人には絶対なってやる‼という気迫は自分自身でしっかり持っていると思います。
もし僕が料理人になって店を開いたらしょーがないから食べに来てもいいよっ!」】
RYOJI
「そうだったんですね。寿司屋の時点で、家の特訓が役になったないんだけどね (笑)」
「僕のバンド仲間が2人料理の道に進んでのを見て、こんな近いところに自分より料理の上手い2人がいるならって、うまく挫折した。自分が本来行くべき道が見つかったのは本当にラッキーだった。」
RYOJI難病を告白
初めて明かす身体の不調。それは特発性大腿骨頭壊死症というもの。
メンバーも頻繁に聞かれ、回答に困っていたという。
心配させないために公表していなかったRYOJIさんの身体の不調が放送で初めて明らかになった。
2014年の暮れから、股関節の付け根が壊死したことで股関節に痛みが生じているという。
3時間におよぶライブに向け、治療を受けるRYOJIさん
RYOJI
「ただ立ってるとか、歩いてるのが一番辛い。気分が乗ってくると痛くなくなっちゃうこともあるし、不思議なパワーってあるもんだなって思いますね」
詳細はコチラのサイトが分かりやすいです。
参考URL:https://www.nanbyou.or.jp/entry/160
RYO(43歳)
本番前でもマイペース。南国の陽気もあり、リラックスしていた。
「二日酔いで下痢です」
※グループ名の由来ケツメイシは、「便秘にも効く生薬」です。だからかな。
参考サイト :https://www.sm-sun.com/family/syouyaku/syou-ka/ketumeisi.htm
客との距離を一気に詰めるベテランのステージトーク
RYO
「タンディガータンディ分かる人?」
挙手を求める
「宮古島の大都会の方言で、ありがとう」
「タンディガータンディ精神を前面に・・・・すみません、ちょっと酔ってて俺。」
「ホテルからも黒塗りの公用車で来ましたし、昨日のキャバクラからフィリピンパブまで全部領収書を切りました。」
「不適切だが・・・」観客にマイクを向けると
観客「違法ではない!」
黒い話題を笑いに変えたうえ、 一体感がいいですね。
RYO経歴
東京薬科大学を卒業し、製薬会社に就職。
学生時代から行っていた音楽活動は辞めなかった
長女が生まれた際、音楽に専念するために会社を辞め。両親の猛反対を押し切った。
子育てと曲作りの両立に苦労
RYO
「あの頃はキツかった。自分は小っちゃいラジカセで音を聴きながら歌詞を書いていてるところに、子供のアンパンマンの歌の音がデカくて。曲作りノートに落書きされたり、『パパなにやってんの?』とか、やられながら」
RYO直伝!作詞のコツ
RYO
「母音を合わせてパズルみたいに書くだけ。くだらないけど。狙ってはないんだけど、ダメな感じがいい。」
例
①
深夜のバーに とびきりのギャル(tobikirinogyaru)
イケイケタトゥー おしりにもある(osirinimo aru)
母音である「おいいいおあう」を合わせる。
②
おやじ狩り そりゃ痛い(soryaitai)
勘弁して もらいたい(moraitai)
母音「おあいあい」で合わせる
③
不倫母さん 抱けば新鮮(dakebasinsen)
風林火山 武田信玄(takedasingen)
母音の「あえあいえ」で合わせる
ラブソング・人生応援ソングだけでなく、こういったくだらない歌詞も魅力の一つですね。
当時、生活に必死だったというRYOさんの想いが創作ノートには綴られていた。
「家じゃ赤子泣き叫び盛り上がる家のローン両肩にのしかかる」
「だれにも輝くときがある。オヤジ狩り負けずに起き上がる」
ケツメイシが歌うのは日常のリアル。
ファンの多くが自分のことを歌っているようだと口々に言うのも、うなずけますね。
解散時期について
RYO
「解散問題ですか。誰かが死んだらですね。4人あってのことなんで。最後はゆるりとディナーショーをやれればいいなと思っています。」
www.yocheckya.net
まとめ・感想
ラップグループで15年もの間、活躍され続けているグループはケツメイシくらいじゃないでしょうか。
ライブ当日に二日酔いで来てしまうRYOさんの、ゆるさも魅力の一つと言えますね。それでいてしっかりライブをこなしているところがさすがです。
RYOJIさんの大腿骨頭壊死には驚きました。3時間におよぶライブをこなすには、立っているだけでも痛いという症状は辛いことでしょう。
番組内でも、脚を引きずる姿が見られました。座って歌うようなライブでもないですし。
中年ラッパーということで、身体のケアもしっかりしていかないとということですね。
それぞれの個性を尊重してこそ活きるケツメイシ。今後の活躍にも期待です。