一流アスリートに学ぶパフォーマンスを高めるために必要なこと
★向かい風がいちばんいい★レジェンド葛西 2012.2.22
- 休養
とにかく一生懸命にやる。絶対に休まない。体が疲れたまま、頭も混乱したまま、試合に出続けて、結局いいパフォーマンスを出せないで終わる。そんなことを続けていました。ソルトレークシティオリンピックまではそうでした。
限界まで体をいじめることが美徳。苦しさの対価として、金メダルが獲れるのだと本気で思
っていました。しかし、一生懸命にやるだけでは結果が出ないと分かったのは、フィンランドコーチの指導を受けるようになってからです。
休養の大切さを知り、トレーニングに対する考え方が変わりました。
- 僕は、トレーニングで自分を追い込むことがいちばん大事で、「休養なんてとんでもない」と考えていました。「えっ、どうして休むの?」と何度も聞きました。するとコーチは「リフレッシュもトレーニングのひとつだ」と言う。それまでの僕は、練習が休みでも、サッ力ーをしたり、走ったりしていました。全然、リフレッシュできていませんでした。
フィンランド人コーチについてからは、釣りに行ったり、犬ぞりに乗ったり......体と一緒に
頭を休め、心にゆとりをつくる工夫をしてくれました。
そうすることによって頭からジャンプのことを追い出し、フレッシュな気持ちが生まれました。
競技のことをまったく考えないというのも、トレーニングなのです
- オンとオフのスイッチを自分で入れる
日本のスポーツ界では、「1日練習を休めば、もとに戻すのに3日かかる」と言われていたのですから。ものすごく、勇気がいりました。
しかし、フィンランド人コーチの言う通りにしてみたところ、世界選手権で銀メダル1個、
銅メダルを2個獲得することができました。「本当にいい成績が出るんだ!」と驚きました。
それまではずつと電源が入っている状態で、オンとオフの切り替えをするスイツチがありませんでした。ところが、フィンランド式を取り入れることによつて、オンとオフのスイッチを自在に入れることができるようになったのです。
★水谷隼(負ける人は無駄な努力をする)
- 強いボールを打つことに集中してほしいのに、ミスが多くて「すみません」と言っているような選手は、次にミスしないことばかりに集中するようになる。
ところが、ミスしないでただコートに入れるだけのボールはたいしたボールではないので、練習しても意味がない。
入れるだけの「死んだボール」を打っても良い練習にはならない。「すみません」と謝るくらいなら、たとえミスしたとしても生きたボールを打つことに集中すべきだ
すみませんと言う言葉が飛び交うようなネガティブな練習場では練習をしたくないし練習効果も期待できない。
- 練習のための練習にならないように
私自身は、追い込む時期と調整する時期というメリハリをあまりつけていない。なぜなら追い込むとその反動が来てしまうからだ。追い込んだら追い込んだ分、休養を取らないと身体がもたないので、練習は少し物足りないくらいでやめておくのが自分のベストの状態だと感じている。
合宿などでも練習と体力トレーニングのやりすぎで、結局次の日の練習で身体が動かないというのはマイナスだと思う。練習は最高の状態でやりたい。疲れた状態で練習をやると故障も起きやすいし、集中力がなくなり、「練習のための練習」になってしまう。
こなすだけの練習は時間の無駄であり、練習効率が悪い練習はやるべきではない。追い込みすぎたり、過度のトレーニングをやってしまい、疲れた状態で満足な練習ができない、もしくは休むことになる。それが2日間、3日間統いたら、結局何もやっていない状態に戻ってしまう。
日本の指導者や選手は、たくさん練習をしたり、疲れた練習をやったことに満足する傾向がある。しかし、それは強くなるための練習なのだろうか。まず考えるべきは、練習効果なのだ。
集中力のある練習は効果が高いわけで、その練習効果のある状態をいかに作るかに注意を払ってほしい。
- 「頑張った感」を作る日本の練習は「練習のための練習」それは無駄な時間であり、やっても伸びない。
- 無駄な練習を繰り返すと悪い癖がついてしまう●
ある程度のレベルになったら練習は量ではなく、質を優先すべきだ。
周りから見たら「水谷は練習量が少ない」と見えるだろう。それは事実だ。
ラケットを長い時間握っていれば強くなるものではない。
無駄な練習が多くなると、自分を弱くする危険性がある。
無駄な練習によって悪い癖がついてしまうことがあるからだ。
たとえば、本来はボールが飛んできた時に脚から反応してボールのところに動かなければいけないのに、疲れた状態でやっていると、つい手が出てしまう。
それが悪い癖になって試合の時に手から先に反応してしまう。これは無駄な練習をした場合の弊害だ。
日本人は疲れて身体がくたくたになり、足が動かなくなってもラリーを続けようという練習がある。しかし、実際の試合で起こらないことをヨーロッパの人はやらない。それは時間の無駄でしかないし、今の私もそういう練習はしない。
- スポーツの世界では負ける人は無駄な練習をする。勝つ人はどんな練習でも無駄にせず、有益なものへ転化させている。
おそらくビジネスの世界でも、成功しない人は無駄なことを繰り返し、目的意識のない時間を過ごすのだろうし、成功する人は時間を効率よく使える人なのだろう。
★北島康介(前に進むチカラ)より
- 情熱さえあれば、頑張ることはできる。しかし頑張りすぎず、自分に休みを与えることには、勇気ある決断が必要だ。
ブランクから復帰した北島康介は、頑張り続けるモチべーションを維持するために、あえて練習時間をかつての半分に诚らし、「量より質」の練習を心がけた。
- どんなに過酷な状況でも前に向かつて頑張っている時は、しっかりとした気持ちを保つことができる。不安になるのは、むしろ休んでいる時ではないだろうか。この間に力が落ちてしまうのではないか。ライバルに遅れを取るんじゃないか。そんなことを考え、心配する気持ちが芽生えてしまう。
特に日本人は真面目で勤勉だ。僕の周りの人間を見ていても、休むのが苦手な人も多いような気がする。休んだら周りに迷惑をかけてしまうのではないかと考え、罪悪感を感じる。あるいは休むくらいなら少しでも前に進んだほうがいいのではないかと考え、長い時間頑張ろうとする。
イソップ童話の「ウサギとカメ」のウサギのように、休んでいる間にカメに抜かれてしまうと考えてしまうのかもしれない。
でも僕はこう思っている"休みは、前に進むための活力源
マイナスではなく、プラスの行為だ。
ウサギは無駄に休みすぎたから失敗しただけ
カメに追いつかれる前に再スタートを切れば良かったのに、油断しサボつたから負けたのだ。
休んだこと自体が間違っていたわけではない。
北京オリンピックまでの僕は、時には体にムチを打つような気分で、どんなにツラい練習でもハードなスケジュールでも耐え抜いていた。オリンピックで勝つためにはそれが必要だと思っていたし、事実、その努力は実を結んだと思っている。
しかし、それは過去の自分だ。今の僕とは身体もモチベーションも違う。僕は今、休むことも「仕事」だと考えている。プロフェッショナルのスイマーとして、自己満足以上の結果を出すためには、しっかりと身体を休ませ、心を休ませる必要がある。
勇気をもって休むことによって、心身のコンディションを整えなければならないと思っているのだ。
- 一回の練習も潢足にできないのに、二回やる必要はない。その分一回で力を出し切ればいいんだよ」
日本にいた頃は、一日二回厳しい練習をすることが水泳選手としての義務だと思っていたような気がする。
勝つために必要なプロセスが休むことであるならば、ちゃんと休んで疲れを抜く努力をするべきだ。
- サボることと、休むことは違う。サボるとは、自分がやるべきことを怠る行為。休むとは、心身を楽にして、次に向かう力を蓄える行為だ。きちんと意味を考えながら休めばモチベーションが上がり、毎日を前向きに過ごすことができる。
- アスリートでなくても、自分の意志に関係のないトラブルやアクシデントで休まざるを得ない時もあるだろう。でも落ち込んだり、焦ったりすることはない。特に休むのが苦手な人なら、それもひとつのチャンスだと考えればいい。
休みとは、気持ちや体調をじっくり整えて、次に向かう準備の期間だ。長い目で見た場合、無理をして頑張るょりも、休んだ方が結果的に前に進む力になるということも多い。焦ってジタバタすることはむしろ逆効果になりかねない。
- メンテナンス
クルマでも腕時計でも、長年使い続けるには定期的なメンテナンスやオーバーホールが必、要だ。休むとは、自分自身のメンテナンスだと考えるようにしよう。
たっぷりと睡眠をとるのは、身体のメンテナンス、友人たちとリラックスできる時間を過ごすのは精神的なメンテナンス。DVDを観たり本を読んだりするのも、気分をリフレッシュするメンテナンス。
すべて自分が集中して練習に励み、トップレベルで泳ぎ続けるために必要なことだ。
その時間を単なる移動や暇つぶしと考えるか、自分のメンテナンスの時間と考えるか。考え方次第で自分の気分も変わってくるはずだ。短い時間でも自分を回復させてくれる習慣を日常の中に見つければ、小まめなメンテナンスが可能になるのではないだろうか。
- どんなに忙しい時でも、最低限、十分な睡眠とバランスのいい食事には気を配るということ。この二つが崩れると、体力が落ちていくだけでなく、目標に向かう気力も湧いてこない。
本気で前に向かって頑張る意志があるのなら、その分、休む意志もしつかり持つべきだろう。
思えば、今僕が前向きに水泳に取り組むことができているのも、北京オリンピック以降の半年間、しっかりと休む時間があつたからだ。あの時の僕はまったく練習をしなかったし、プールに入ることもなかった。
意識的に避けていたわけではない。「泳ぎたくない」とは思わなかったが、「泳ぎたい」とも思わなかったから、僕はその気持ちに従った。
水泳を始めてから二十数年、半年間も泳がなかったのは、初めての経験だったが、不思議と焦りはなかった。
もしあの頃、誰かに泳ぐように促されたり、自分で無理やりハッパをかけるような形で水泳を再開していたとするならば、途中で泳ぐのが嫌になって、今頃は止めていたかもしれない。
長い休みを経て、ごく自然な気持ちでプールに向かうことができたからこそ、今の自分があるような気がする。
あのタイミングで休んで本当に良かったと思うし、休むことでしか得られないものがあることも知った。
僕は頑張り続けることで、自分の道を切り開いてきた。頑張れば夢がかなう、努力すればもっと速く泳げる。そう思って生きてきた。しかし、頑張らない半年間が僕に新しい道を与えてくれた。
思い切って足を止めたことで、前に進もうとする自分の意思が湧いてきたのだ。
休みは決してマイナスにならない。むしろ、目標達成までの長い道のりの中で、いつどんなタイミングで休みを取るかを考えていけば、その休みが前に進む力に変わるのだ。