10月31日 しくじり先生 恐怖のローゴが始まっちゃった先生まとめ②
2016年3月に三船美佳さんとの17年半の結婚生活に終止符を打った高橋ジョージさん。
三船美佳さんとの馴れ初めから離婚に至るまでの経緯を赤裸々に語っていました。
ローゴ第二章 高橋ジョージが孤独になるまで
高橋「何が原因で離婚に至ってのかすべて語ります。世の男性の皆さんは自分と重なることがないかを確認してください。」
「運命の出会いは突然訪れます。1997年ロードも第5章を過ぎたころ」
澤部「章でいわないで!」
若林「西暦で言ってくださいよ。」
高橋「俺んなかだと章なんだよ」
ミキティ「何章まであるんですか?」
高橋「13章です」
澤部「しつこいなぁ曲作りも」
ロード発売年一覧
1993年1月ロード
1994年1月第二章
1995年1月第三章
1997年2月第四章
1997年6月第五章
2000年1月第六・七章
2001年5月第八~十三章
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三船美佳との馴れ初め
高橋「俺のファンだった彼女が、お母さんと一緒にライブを観に来てくれたのがキッカケです。当時俺が作ったロードっていう映画があって、上映後に幕が上がってコンサートになるっていう形でやっていた。」
「その時に、楽屋にお母さまと一緒に入ってきた。当時2作目の映画で14歳くらいの少女と中年の男の映画を作ろうと思っていたところへお母さんから紹介された。ちょうど14歳だったので、オファーした。」
「映画を作るためにお母さんと3人で映画を見に行くことになったんだけど、お母さんがいけなくなって2人になっちゃった。その帰り道にこう言いました」
「俺たち結婚する気がしないか?」
急に?15歳ですよね。
高橋「映画を観てるときに、一回も手が当たらずにポップコーンを食べれたんです。餅つきのような阿吽の呼吸というか、すごく楽だった。そんで、独り言のように『俺たち結婚する気がしないか?』って言っちゃったんだよ。そしたら」
三船「私も同じこと思ってた!」
結婚してからの生活
高橋「そういうことで、俺が40歳の時に結婚しまして。俺に臆することなくズバズバ意見をいってくるけど、可愛く見えても腹が立たなかった。」
「24歳も離れていたらケンカにもならないだろと考えていた。普通、近い価値観でイライラするけど、彼女はマイケルジャクソン、俺はビートルズで育ってるわけだから。」
「どうせすぐ別れるよって言われたこともバネになっていた。」
24歳離れた妻と夫婦生活を送り、寛容になり穏やかに過ぎる日々。
仕事面ではロードの続編を出しまくった結果
高橋「世間からはいつまで作ってんだ。『いい加減にしろバカ野郎』とイジられ、完結すると、世間から完全に忘れ去られていた。」
「歌番組にあの人は今的な感じで出たりしたけど、3年ほどは仕事がなくて、彼女が学生なので迎えに行ったり料理したりしてた。結構売れたんで、働かなくても印税で食べていけてた。」
「彼女は2004年21歳の時に娘を身ごもっちゃう。女優のほかにバラエティも出演していたので、ある日、夫婦共演でバラエティ出演の依頼が来る。」
「当時の俺は、笑われるとイラッとするところがあってバラエティはちょっと・・・と言っていた。ところが、一緒にいられるならやってみようかなという気持ちで旅番組(いい旅・夢気分)に出てみた」
「最初は彼女とお母さんが一緒に行くはずだったんだけど、妻のおばあちゃんが骨折した影響で行けなくなってしまった。それで俺のところにオファーが来た。」
「俺はロッカーだし、温泉なんて無理と断ったんだけど、周りのロッカーはみんな番組を見てなかった。みんな知らないならいいかと思って。俺いかないとヤバいと思って出た。」
「3年間テレビ観てきたから、きっとここでコレがほしいんだろうなって分かっちゃう。」
若林「ロッカーなのにすごい旅番組みてんすね」
高橋「ハーモニカ出してお腹の赤ちゃんに吹いたり」
若林「ネタしこんじゃってんじゃないですか」
テレビに出た反響
オンエア翌日から大量のオファーが来たそうです。
高橋「1回やったら断れないじゃん。世間から忘れられてたから、求められてる?俺と感じた。これはやれってことか?って感じた。これこそが離婚ロードの始まり。」
「仕事がなかった俺としては嬉しかったんだけど、結果、四六時中一緒だと夫婦関係がギクシャクする。」
夫婦仲がギクシャクする例
- 定年退職した夫がずっと家にいる
- 夫がだっさらして夫婦でお店を経営
- 急に田舎に移住して夫婦で農業を始める
「大体の場合は妻の場合が合わせてくれている。当時の俺は相手がどう思っているかは考えなかった。彼女が1人でやっている時より仕事が増えていると思った。そして毎回出演番組の反省会をやった」
吉村「ロックンローラーがなにやってんだよ!」
高橋「番組終わって、バスでリクライニングして彼女は寝たいのにダメ出し。『あのリアクションは違う。早い!』藤本さんのところは?旦那さんにアドバイスとかされるとかは?」
ミキティ「絶対ヤダ。絶対ないです。絶対嫌です。」
高橋「今、嫌だって言いましたもんね。」
ミキティ「絶対嫌です!仕事のことは、話すけど、こうした方がいいとかは絶対言わないです。言われたくもない!」
高橋「俺、偉そうにいってるけどバラエティ的には彼女の方が大先輩なんですよ。なのに俺が後から入ってきて説教してるという。当時は彼女は真剣に聞いていた。」
「このことで俺は学びました『自分の専門外のことで偉そうに語ってはいけない』」
若林「シンプルな教訓(笑)」
高橋「ミュージシャンという肩書でバラエティに呼んでもらってる。途中から勘違いして。」
「現場は盛り上がっていくんだけど、彼女はどんどん笑顔が無くなっていった。毎回、一回も文句を言わずに。」
妻からのサイン
「ところが事件がありまして。2012年にアメリカ感動ロード~音楽がくれた勇気~という番組で夫婦でアメリカ旅をする番組をしたとき、とうとう彼女の我慢の限界を迎える日が来ました。」
「結婚から14年経った2012年。ロケが盛り上がらないから、酷い冗談を言ったんです。そしたら不機嫌そうな顔をした。」
「自分の誕生日会をやってホテルに帰ってから彼女に『今日、私はあなたと本気で離婚しようと思った』って急に来ちゃった」
三船「あなたの冗談はあまりにもひどい」
高橋「俺のブラックジョークに対するジョークかなって思った」
ミキティ「すごい前向き・・」
高橋「この時は冗談だと思って相手にしなかったんだけど、今思えば最初のサインだった。皆さんこれよく覚えておいてください。冗談っぽい夫婦の会話の中でサインは出てる。」
「そもそも離婚って言葉自体が、普通は使わないですから」
今までに離婚を考えたことがありますか?調査
既婚女性の約45%が離婚を考えたことがある。
相手に伝えていない24%
相手に伝えた21%
高橋「つまり、21%しか気づいていない。離婚という言葉が出た時点で、そんな冗談ではない。ミキティは正直一回もないですか?」
ミキティ「私は、結婚の準備してるときにケンカして、旦那が死んだふりした時。それ以外はないです。その後は死んだふりしなかったので。」
若林「何それ?」
高橋「その発言から、1年4ヶ月経った2013年の12月25日。妻が子供を連れて家出。突然、子供もつれて。トイカッププードルを飼っていたけど、その犬までいなくなってた。」
「アメリカの彼女の発言が本気だったと気付いた。今思えば、あのロケから彼女との関係はギクシャクしてた。」
「強烈にしつこい俺は、『彼女のSNSをチェック!』娘の成長を見たいからどうしても見ちゃう。教訓として伝えておきます。」
「元妻のSNSは玉手箱です。開けたらグッと老けます。とにかく老けるだけなんでやめましょう。」
「24歳も年下の女性と結婚した俺のもっとも大きなしくじりは『彼女の精神的成長をなめていた』」
「彼女からしたら16歳の時40歳の俺を見て、そんな若い人いないよね少年ぽくていいって言われたままだから変わらないままで」
若林「むしろ下がってますもんね」
高橋「その通り!50歳過ぎたら子供にもどってく。子どもが2人めんどくせぇ!って。自分で生んだ子供だったら可愛いよね。でも俺はしつこいし、うるさいし、ウチでもずっとゴタゴタ言ってるし、どうよ?」
若林「嫌ですよ!(笑)」
「日本全国の男性諸君に言っておきます。男性はどんなことをやっても女性には敵いません。精神面では女性には絶対敵わない。そのことを早く認めましょう」
「だから、外で暴れましょう。家に帰ったら謙虚に羽をしまってください。」
若林「何の講習だよ(笑)」
高橋「こうして2014年に離婚調停。2016年3月に協議離婚。ここから俺が学んだ教訓は」
「男はもっと奥さんのことを知る努力をしよう」
「女性って、食事会とかあると夫とか彼氏のことを話して自分の位置がどのくらいにあるかとか平気でするんですよ。男って自分のカミさんの話とかします?全く考えないでしょ?」
「ようするに理解が出来ないんですよ。色んなデータを持ってこそ初めて女性のことを知る。だから、ここでハッキリ言っておきますけど、離婚のサインが出た時には遅いんです」
「結婚した時点で、努力をする!女性は努力をしている姿勢は見捨てない。一生懸命走っている姿は評価してくれるが、走らないと男性に腹立てる。」
「俺がこの2年半で学んだこと2つあります。女性と接するときは理解と共感。ウィンドウショッピングいった時『買えば?』これじゃないんです」
「女性は夢をみているんです。男は気が短いから『買っちゃえば』って言っちゃう。これでは理解と共感が出来てない。」